偽りと傷










身体を繋ぐことは、そう難しいことじゃない。

感情を伴わなくても、成立する行為だから。

ただ相手を受け入れさえすれば、良いのだ。

それだけの価値しか持たぬ行為。

だから、こうしてお前と寝ることに特別な意味なんてない。


何の意味も、ない。


そうだ。

俺は別にお前のことを好いているわけじゃない。
ただ他の人間より少しだけ仲が良くて、時折身体を重ねる、それだけの関係。


だから。



もう、好きだなんて、言わないでくれ―――――










ハーヴェイとシグルドが、いわゆる「そういう関係」になってからしばらくの時が流れた。
きっかけが何であったのか、それすら明確に思い出すことはできなくなっていた。

ハーヴェイはシグルドのことを好きだと言い続けた。

そしてシグルドはその言葉を跳ね除け続けた。

ただの喧嘩とは違う深刻さに、周りの者が騒ぎ始めていた、そんなある日。


「飲まないか?」
声をかけていたのはこの集団の主たるキカだった。
彼女のお誘いを断れる人間は、この島にはいないだろう。
「ええ、俺でよければ。」
やんわりと笑みを浮かべて、連れてこられたのはキカの私室。
中央の椅子に座らされ、声をかける間もなく酒の用意がなされていった。
なかなか上等な品らしいその酒は、舌に微かな甘みを残す。
たいした会話もなくちびちびやっていたところへ、シグルドの方から声をかけた。
「何か御用だったのではないのですか?」
飲んでいた手を止め、じっとこちらを見てからキカが笑った。
「・・・ふ・・・聡い奴だと楽でいいな。」
はあ、というシグルドの相槌を受けて、キカは続ける。

「お前のことだからきっと察しもついているのだろうが。お前とハーヴェイのことだ。」


その名を出したとたん、辺りの空気が緊張に包まれた。
シグルドの顔から笑みが消えうせる。

「喧嘩・・・ではないのだろう?一方的にお前の様子がおかしいように私は見えたが?」
何も言葉を返さないシグルドにかまうことなくキカの言葉は続いた。
なぜだと問いかける彼女に、やや間を置いて、シグルドが顔を上げた。
「仰るとおりです。変なのはあいつじゃない・・・」
「・・・何が、あった。」
キカの瞳にも緊張が浮かぶ。
「好きだと、言われたんです・・・何度も・・・・・・」
「それで?」

「俺には・・・それが、つらい。」


「お前はハーヴェイに好きだと言われることが嫌だと?」
シグルドは黙ったまま、小さく首を横に振る。
だが、それならば何がつらいというのか。
2人を見ていて、お互いに好意を持っていることはキカにもわかっていた。
だからこそ、シグルドが想いを伝えられることに苦しむ理由が見つからない。

「・・・好きなのだろう?」
響いた声に、シグルドは口を歪ませ、俯く。
「・・・俺は・・・・・・」

そして長い沈黙の後、思いの外しっかりとした口調で彼は言った。


「俺はここに来た時、あなたに忠誠を誓いました。」

あの日消えるはずだったはずの命を救われ、自身に生きる道を示してくれた。
一生かかっても返せない恩が、シグルドにはある。

「この先、命を落とすことがあるならば、それはあなたのためでありたいと、俺は思っています。」

「シグルド・・・」
もちろん簡単に死ぬつもりはありませんが、と続けた彼を、キカは真剣な目で見つめた。
俯き影になっていて、シグルドの表情はキカからは窺えない。
ただ迷いのない口調と、笑みを作る口元が、彼の意志を主張しているようにも思えた。

だからシグルドはハーヴェイのことをなんとも思っていないと言うのだろうか。
それとも、だから彼へ想いを告げることはないと、言いたいのだろうか。
「シグルド、お前・・・」

「ですが・・・」

キカの問いを遮るように、シグルドの言葉が重なる。
それは先ほどとは打って変わって、弱々しい声だった。

ともすれば、消えてしまいそうなほど、細く・・・


「もしあいつが・・・ハーヴェイが危険に晒されたら・・・きっと俺は・・・」

シグルドはさらに俯き、影が完全にその顔を覆う。
まるで彼自身を覆い隠すように。

彼に握られたグラスの中で、氷がカランと音を立てた。



「俺は、命を捨ててでも・・・助けに行ってしまうと、思います・・・・・・」




小さな声で語られた、彼の真実だった。


シグルドの中に存在する確固たる信念を崩してしまうほど。

きっと考えるよりも早く身体が動いてしまうほど。

シグルドにとってハーヴェイは大切な、


「大切な存在なんだな・・・」

言いながら、キカはそれまで纏っていた表情を、ふっと緩めた。
それと同時に物々しい雰囲気だったその場が柔らかいものへ変わる。
シグルドはそうだとも、違うとも言わなかった。
けれどその沈黙が、肯定だと物語っているように感じられる。
キカは自身が持つグラスに視線を移し、軽く振った。
「それ程までに想っていて、なぜそれをあいつに伝えてやらない?」
シグルドの内にある想いの強さは先ほどの話でわかった。
だが、それでなぜ彼に伝えないのか、その意図は見えてこない。
キカの問いかけに、シグルドは少しだけ反応を返し、再び顔を俯かせる。
ややあって、重そうに口を開いた。

「俺は、臆病ですから・・・・」

「何を馬鹿なことを。」

「キカ様は俺を買いかぶりすぎです。」

「・・・?」


ほんの少し、シグルドが顔を上げる。


「俺は、卑怯で・・・情けない・・・弱い、人間なんです・・・・・・」

そうやって見せた表情に、キカははっと目を奪われた。

傷つけられたような、ひどく苦しい笑み。
彼は、自身が幸せになることを諦めている。
そんな資格はないと戒め、己を傷つけ、幸せを手に入れることを恐れてさえいるのだ。

だが、それはあまりにも・・・苦しいことで。



「恐い、か・・・・・・」
誰にともなく、キカは呟いた。
「・・・すいません、こんな情けない話・・・忘れてください。」
「だ、そうだが。」
「?」


「どうする、ハーヴェイ?」


「え・・・!?」
ちょうどシグルドの後ろに位置する幕が動いたかと思うと、よく見知った顔が姿を現した。
「すまないな、シグルド。ここを仕切る者として、お前たちをほおっておくわけには行かなかった。」
「ハーヴェ・・・」
「行こう。」
無言でシグルドに近寄ったかと思えば、ぐいと腕を掴んでただ一言。
半ば無理やりの形でシグルドを立たせ、キカの方には見向きもせず歩き出す。
「お、おい、ハーヴェイ!」
突然のことに驚きも隠せないまま、困ったようにキカを見つめたが、本人は至って涼しい顔である。
私のことは気にするな、と手さえ振っていた。
そうして、シグルドはハーヴェイに引きずられキカの部屋を後にしたのであった。





一言も言葉を交わさないまま、2人はハーヴェイの部屋へたどり着く。
シグルドを先に部屋へ押し込むと、ハーヴェイは後ろ手に扉を閉めた。

そしてシグルドの方を強く睨みつける。


「・・・ハーヴェイ・・・」
「何なんだよ、『恐い』って。」
「ハーヴェ」
「『恐い』ってどういうことだよ!俺は!真剣にお前のこと欲しいから、だから好きだって言ったんだ!!」
ハーヴェイに見つめられることがつらいのか、シグルドは視線を彷徨わせた。
「・・・すまない。」
「謝ってほしいんじゃねぇよ!」
その声の大きさに、シグルドの肩がビクリと震えた。
一方のハーヴェイは、少し落ち着きを取り戻し、一度小さく息を吐いた。
「なぁ、恐いってどういうことなんだよ。」
できるだけ、いつものような声を出すように努める。
別にハーヴェイはシグルドを怯えさせたいわけではなかったから。
するとシグルドの方も少しいつもの自分を取り戻せたのか、再びこちらを見つめてきた。
「・・・もう二度と・・・大切なものを失いたくないんだよ・・・」
苦しみに顔を歪めたまま、彼はさらに言葉を紡ぐ。
「あんな想いはもう・・・たくさんだ・・・っっ!!」
「お前、賢いくせにバカだな。」

ひどく近いところでハーヴェイの声が聞こえる。

気がつけば彼は腕を伸ばせば触れることのできる位置にまで近づいていて―――――



「賢いから、だからなんだろうけど。」


やんわりとシグルドの背を抱いた。

衣服を通して、彼のぬくもりが伝わる。


「手に入れる前から失くすこと、考えてんじゃねぇよ・・・」

がっと肩を掴み、強い瞳がシグルドを見つめて。


「俺たちは『今、ここで』生きてるんだぜ?」

これから先の、未来を考えるのは必要なことかもしれない。
だけど、悪い可能性ばかり考えていては、何も行動なんて起こせないから。


ハーヴェイは一呼吸おいて、続けた。

「大事なのは、俺がお前を好きなことで・・・」



あぁ、こころを覆っていた氷が、音を立てて崩れていく―――――



「・・・・・・お前が俺を、好きだってことだろう・・・?」





―――それは、“光”


全てに等しく降り注ぎ、染みてゆく


あたたかい・・・





「それにさ。」
シグルドの肩を掴み、お互いの顔を見ることのできる位置で、にかっと笑う。


「『海賊』は欲しいものを手に入れてこそ、だろ?」


知らず、シグルドの顔にも笑みが浮かんだ。
胸の内にあった邪魔なもの全て取り払った、とても清々しい気分だった。
言いたいことを言ってすっきりしたのか、シグルドの表情を見て満足したのか、ハーヴェイは彼から離れる。

そして。

「急かすつもりはねぇし、お前がまだなんか悩むなら無理強いもしねぇ。ちゃんと決まってからでいいからさ。」

ごまかしじゃねぇ、お前の本当の気持ち、教えてくれよな。
言った背中が扉へ向かう。

ゆっくり考えろと、言われたような気がした。

どこまでも自身を気遣ってくれる目の前の男に、シグルドは胸が熱くなる。
何のしがらみもない、確かな想いがここにはあった。


彼が・・・ハーヴェイが愛しくて仕方がない。



「・・・ハーヴェイ・・・・・・」


想いを唇に乗せて、彼の名を呼んだ。


「んー?」
ハーヴェイの振り返った目の前にシグルドの姿。



胸元を掴まれぐいっと引き寄せられ。



ちゅっ。



啄ばむようなキスを1つ送って。





「・・・ありがとう・・・・・・好きだよ・・・・・・」


ほんのりと頬を染めた、シグルドの柔らかい笑み。


今度はハーヴェイが顔を真っ赤にする番だった。










普段と変わらない日常
身体を重ねることは、やはり難しいものじゃない

けれど

今まで存在しなかったお前との、確かな“キズナ”を感じることができるから


それは特別なものになる―――――





好きでいてくれて、ありがとう





end

弱いシグルドが書きたかったんです。
私の中のハーシグ原点、ですかね。
お互いの想いは同じだけれど、実際引っ張っているのはハーヴェイだと思うのです。
どちらも『好き』ですが、シグルドの方が病的なのかもしれません。

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